厨二とはよくいったもの

久々にバーチャルコンソールのラインナップを眺めていると、当時のことを色々と思い出した。なかでもまさに中学二年生くらいの頃、自分が青春の大きなウェイトを占めていたのは大塚英志田島昭宇による一連の『MADARA』サーガ。最近(でもないか)は田島昭宇といえば『多重人格探偵サイコ』が連想されるのだろうが、自分としてはどう転んでも『MADARA』。どこかのブログに、『MADARA』が好きな人は、大塚作品のすべてに『MADARA』の匂いをかぎとろうとする、とあったが、正にその通り。『サイコ』にもどうもそのようなテイストが見られた箇所があったのだが、真相は大塚さんのみぞ知る。
FC版『魍魎戦記MADARA』、SFC版『MADARA2』は両方ともプレイ。ただし前者は当時の自分には難しくてクリアに至らなかった。バーチャルコンソールでの配信を待っていたけども、キャラものだし、恐らく出てこないでしょう。『MADARA2』は、当時流れてたTVCMの歌がずっと頭に残ってて、さっきググったら、曲名も歌詞も判明し、当時のVTRまで見ることができた。感動。
菅野よう子はもう何年も好きだけども、好きになったきっかけは同じような流れだった。むかーしから頭に残っていた楽曲をネットでひとしきり調べたのち、それらの作者が全て同一人物だったときにはとても驚いたものであった。丁度その頃、『∀ガンダム』も見ていたので、なんか色々とドンピシャだった。
いまさらながら、すごい時代になったもんだ。子供の頃のわずかな記憶から、色んなものを辿ることができる。すっかり忘れてしまっていた、自分が好きだったもの、気になっていたものを色々と取り戻せる。知らないうちに自分の中に閉じ込めてしまっている思い出や感性や戒めを、もっと掘り起こしてみたいと思った。いまこそ自分の役に立つものが、何かたくさん眠ってるような気がする。
一方で、なんか悲しいもんだ。あれだけ大切に大事にしていたたくさんのものを、人はこうも忘れるものか。自分が死んだとき、自分が辿った人生のライブラリみたいなとこがあれば、ぜひ連れて行ってほしい。善し悪し色々あるけども、人生に無駄な思い出や、心の底から忘れたい思い出なんて何ひとつない。そう考えると、年配の人たちは凄いね。自分の倍以上のヒストリーがあるんだもの。彼らも皆、子どもだった。大切な思い出が山ほどあるんだもんな。他人の人生には敬意を払うべきなのだ。明日は有給をもらって、ちょいと関西方面を散歩。うまいものが食いたい。


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