自分はこの世に何を遺そうか

って、小島監督が言ってた。自分の場合はなんだろうな。ところで、奥秋昌夫さんって、世間からはどんな評価をされてる人なんだろうか。ホリエモンにも急に噛みつき出したり、言動がよく分からん。ただのマジキチにしか見えないのだが、どうなんだろ。ちょっと興味が湧いた。
ホリエモンといえば、Twitterで彼のタイムラインを眺めていると、「そんなの聞いてどうすんの?」とか「そんなことしてないよ」「思ってないよ」とか、バッサリ切られている質問者がとても目立つ。まあ、ホリエモンも敢えてそういうのを選んでRTしてるのかもしれんけど。そして、自分がその流れを見ても、確かにどれもがホリエモンがそう答える気持ちが分かるような質問だったりする。彼とて、以前はニュースを賑わせていた人ではあるけども、本質はただの一人の人間であり、仕事人なのだ。崇めるのは結構なことだが、質問者が勝手にフィルターがかけて質問して、さらにそれが事実に沿ってないものでれば、そりゃーイラっともくるし、何でそんな質問すんの?ってことになるだろう。誰が同じ立場でもそうなる。彼にはすべてのしょーもない質問に答える義務もないし、ほとんど見返りもないはずだ(あるのかもしれんけど)。
彼がブログを始める理由だったかに、「自分がどんな人か知ってもらう」みたいなことがどこかに書いてあった気がする。それだけ本人も、一連の事件を経て、世間にどんなイメージで通っているのか理解しているつもりなんだろう。世の中の人の多くに、本当の自分を知ってもらっていないと思っている。かくいう自分も、これだけのことを書いといて、では彼が大好きかというと、決してそうではない。でも嫌いでもない。それぞれに理由がないから。彼を知らないからだ。事件当時はニュースで流れたことばかり見ていて、なんかこしゃくなことをしている人なんだろうなーくらいにしか思っていなかったが、いまになると、何となく発言やブログの記述にどことなく共感する部分があり、興味が湧いたというところ。
彼には、世間で言う「優しさ」は感じられないかもしれない。厳密には、「ぬるい優しさ」がない。「甘さ」ともいうか。でも、割と世の中のことを考えて、自分の利益に関係なさそうな仕組みに対しても、それを最適化(という言葉はあまり好きじゃないけども)できるようなアイデアを持ってたり、投げかけたりしてるので、それは真の悪人だったらやらないことだ。自分だけ成功できればいいと本気の本気で思ってたら、別のやり方がごまんとある。世に出て注目を浴びている時点で、すでに失敗なのだ。
彼はあまり甘くない。甘くないので、力を入れるべきところをそうでないところを、きっちりと棲み分けできている。質問者がバッサリ切られているように見えるのはそういうことだ。甘くないから、本質をついて、必要十分な答えを返してくる。そこからさらに深掘りしてほしかったのなら、そのようにしか答えられないような質問の仕方をするべきだ。それは日本語の難しさと、Twitterの140字制もあって、なかなかハードルが高いものなのかもしれない。でもホリエモンはわざわざそれを汲むことはしない。する義務もないから。
無駄をなくすとか、仕事にシビアになるということを、「優しくなくなる」と混同する人がいる。社会に出たての頃には特にそういう人が多い気がする。ある1人が判断を誤ったとして、それを叱らねばならないときに叱らない、指摘しないことは、長期的に見ると、その1人の周囲を巻き込んでリスクを負うことになる場合が多い。結果として組織がダメージを負ったり、ミスを正せない腐った組織ができあがったりする。指摘しないと、永遠に修正されることはない。職場で例えたが、家族でもそうだ。家族ならなおさら、それって本当の優しさではないよね。
以前、自分も厳しい人間になることに恐れを感じていた時期がある。いまの人格が変わるんじゃないかと。でもそうではなかった。こんなことはビジネス本には載ってないかもしれないけども、実際に自分が経験したことなので、たぶんこの世の真実のひとつだ。一度でもこういう心境になったことのある人の一助にならないもんかと思った次第。厳しくても、優しくいられるのだ。自分は自分として、ずっと変わることはなし。安心して強くなってよいのだ。



おれはなんで最近こんな“仕事できる風”なことばかり書いてるのか。実際は業績あがってねーし。精神論がマイブームっぽい。これがストレスの捌け口&頭の整理になってるのかもしれないです。謝謝。

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