定時に帰るということは

悪いことではない。ただ、仕事を残して帰るな。他人に迷惑がかかる。仕事を自分のものにするな。仕事は会社から預かっているものだ。氏ぬのなら一人で氏ね。ということをKiddfive政権では、まず初めにはっきりと言う。「できなかった」と「やらなかった」は全く違う。こういった、ちょっとしたことをごまかして暮らしていると、それは習慣となり、やがて習慣が人格を形成し、一生尾を引くことになる。
残業が必要になるのなら、それは事業計画を立てた会社が悪いのかもしれない。けども、その会社に首を突っ込んだのは自分自身なのだ。その会社にメシを食わせて貰い、洋服を着たり、暖かい布団で眠るかわりに、対価として労働力を差し出す契約をしているのだ。
実際、事業計画を立てるのは経営層かもしれないが、それを立てるに至った根拠には、少なからず末端の従業員の日々の行動や発言が影響している。大きい会社であるほど個人の状態までは把握するのが難しくなるが、ならばこちらも大きく動けば、それは目に留まるということだ。すなわち、イチ従業員であったとしても、紛れもなく「当事者」なのであり、声や行動を挙げるチャンスは与えられているのだということを忘れてはならない。このことから、経営と雇用の関係においては、「言われたからやる」「やらされている」という論理は、本来成立しないはずである。意見や不満があるのなら、それを公にし、改善するチャンスが1人1人に与えられている。面接でもしばしば、前職の不満を垂れる者がおるが、そんなとき必ず「それを改善しようと努力しましたか?」と返されるのはそういうことだからだ。
働き手には、本質的にはこういった自由が与えられているものの、一方、企業には彼らに対して給料を支払わないという自由はない。なくはないが、多くの企業がいまや固定給を採り入れている。会社から預かった義務、立場、恩義そっちのけで、労働者の権利とやらを振り回す輩が目立つ。定年までの長い時間、会社の世話になる=人様から給料を貰おうと思うのなら、一度、経営者や管理職の気持ちになってみるとよい。自分が経営者だったら、自分をいまの給料で雇いたいと思うだろうか。
少しでもプライドがあるというならば、少なくとも自分に支払われている給料くらいは自分の力で稼いでおきたいところ。また、それはいますぐ実現できることではなくとも、何年かけてこれをペイするのかという中・長期的な視野を持っていれば、自分の能力アップに大きく繋がる。コミュニケーション能力、問題解決能力、分析能力など、根本的なものはこんなところで、業種・職種など関係ない。仕事ができると言われる人は、恐らくどんな仕事をさせても平均以上の結果を残す。本質はみな一緒で、彼らは日頃の修練を自信に変えており、明日会社がなくなっても困らないと思っている。カオス真っ只中の現代格差社会。この時代の「生きる力」とは、こういうことを指しているのだ。
しかしながら、最終的にはこれも「気付き」によるもの。情弱に未来はない、ということが、とりあえず伝わればよい。要するに結論として、社員にも関わらず毎日ほぼ定時に帰って成果も挙げられないどころかスケジュールに悪影響をきたしてるアホがいて、それなら経費はかかるけど少しでも残業して、成果を出したほうがいいんじゃね?ということで、そいつを本格的にしばくことにしたという話です。もちろん最も良いのは、「残業しないで成果を出すこと」です。がんばります。

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